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大阪家庭裁判所 昭和43年(家)807号 審判

申立人 河合ミツ(仮名)

相手方 平野宏一(仮名) 外一名

事件本人 平野宏芳(仮名) 昭三三・一一・一六生

主文

申立人の申立は、いずれも、これを却下する。

理由

一、本件申立の趣旨および実情の要旨は、

(一)  申立人と相手方宏一(以下単に宏一という)は、昭和三二年一一月三日、正式に結婚し、いらい、夫婦生活をいとなみ、同三三年一一月一六日、そのあいだに、長男である事件本人が出生した。

(二)  しかしながら、申立人と宏一は、その後、京都地方裁判所裁判官の調停と弁護士の立会のもとに、(イ)申立人には、事件本人と、一箇月八回ていど、接見の自由を認める。(ロ)事件本人の学校等の休暇中は、五日以内ぐらい、申立人宅などでの外泊を認めるという条件で協議離婚をすることにし、昭和三九年一一月二五日、事件本人の親権者は父である宏一と定めて、正式に、その届出をすませた。

(三)  しかして、宏一は、申立人と離婚して間もなく、かねてより、もめ事をつくり、離婚の原因をなした相手方昌子(以下単に昌子という)と、昭和四〇年四月一日、正式に、再婚したのであるが、その家庭には、事件本人のほか、昌子のつれ子A子および宏一が、まだ、申立人との婚姻継続中であつたのに、昌子とのあいだにもうけたかくし子忠夫までも、生活を共にしていることが判明した。

(四)  以上のしだいであるが、昌子は、もと、バーの女給をしていたものであり、しかも、生活を共にしている子供らは、それぞれ親を異にしているのであるから、宏一の主宰する家庭は、環境が悪いものであるというのほかなく、また、事件本人に対する待遇も良好でないので、その利益保護、更には、教育上の見地からも、この際、(イ)事件本人の親権者を申立人に変更する。(ロ)事件本人の監護者を申立人に変更する。(ハ)事件本人を申立人に引渡す。(ニ)これらの事が実現するまでの間、申立人に、面接等の交渉権を、その情操を傷つけないていどで認めるという趣旨の審判を得たく、申立におよんだ。

というのである。

二、しかして、本件並びに当庁昭和四二年(家)第五九〇八号親権者変更審判事件の記録を調査すると、大要、次の事実が認められる。すなわち、

(一)  申立人は、昭和二九年三月、京都薬科大学を卒業し、同二九年八月、薬剤師国家試験に合格したもの、また、宏一は、同二六年三月、京都大学附属医学専門部を卒業し、同二七年二月医師国家試験に合格して、国立京都療養所に勤務をつづけるかたわら、夜間だけ、自家営業をしているものである。

(二)  申立人と宏一は、昭和三二年一一月三日結婚式をあげ、同三二年一一月五日、正式な届出をすませ、いらい、夫婦として、京都市内にある、宏一の父母の家に同居して生活し、その間、同三三年一一月一六日、長男である事件本人をもうけたのであつた。しかしながら、両者の結婚生活は、漸次、冷却するようになり、そのうち、昭和三四年一〇月前後頃、宏一が、バーの女給をしていた昌子と、婚姻外の関係をつづけていることが明るみに出てからは、全く、救うべからざる状態となつた。

(三)  かくして、宏一は、昭和三五年一月初め、申立人を相手どり、京都家庭裁判所に、離婚、親権者指定の調停申立(同庁昭和三五年(家イ)第一号事件)をしたのであつたが、同事件は、同三七年一月初めにいたつて不成立となり、しかして、その後、宏一は、同三七年一二月一一日、申立人を被告として、京都地方裁判所に離婚等の訴訟を提起(同庁昭和三七年(タ)第二八号事件)したのであつた。 一方、結婚生活の破綻のため、昭和三五年二月頃より、実家にもどつていた申立人は、その間、同三五年三月八日、宏一を相手どり、京都家庭裁判所に同居、協力扶助の審判申立(同庁昭和三五年(家)第五三八号事件)をし、同事件は、いつたん、調停に付せられ(同庁昭和三五年(家イ)第二五三号事件)たのであつたが、同三六年九月中不成立となつて、再び、審判の手続が進められた結果、同三六年一二月二〇日附の、宏一と申立人は、京都市内の宏一宅において同居し、互いに、協力、扶助しなければならないという趣旨の審判の告知があり、これに対し、宏一から抗告の申立があつて、事件は、大阪高等裁判所に係属(同庁昭和三七年(ラ)第三号事件)するにいたつた。

(四)  このような経過でもつて、申立人と宏一のあいだには、上記離婚等訴訟ならびに同居、協力扶助審判の両事件が相争われていたのであつたが、その間、双方のあいだに、示談が進行し、ついに、昭和三九年一一月二四日にいたつて話合がまとまり、約定書と題し、(イ)申立人と宏一は離婚すること、事件本人の親権者は宏一と定め、宏一において、その監護、教育にあたること、(ロ)正式な届出は昭和三九年一一月末日までにすること、宏一は申立人に対し、損害賠償金として金一三〇万円を、昭和三九年一一月二四日までに、現金で支払うこと、(ハ)宏一は申立人に、その持参した嫁入り荷物を、すでに引渡した、(ニ)申立人と宏一は、従前の結婚生活および離婚にともなう紛争の一切を、上記各条項により解消することにし、今後、名目のいかんを問わず、何らの請求をしないこと、(ホ)宏一は、上記離婚等訴訟事件、申立人は、上記同居、協力扶助審判事件を、それぞれ、取下げること等の趣旨を記載し、双方の代理人である各弁護士が署名、捺印した、いわば、公式の書面と、そのほか、本人間の交換文書と題し、双方本人各自だけが、署名、捺印し、(イ)宏一は、申立人の申出がある場合は、自宅その他において、一箇月約八回の範囲内で、事件本人に面会する等のことを承諾する。なお、別に、事件本人の幼稚園、学校等の休暇中は、申立人宅などにおける五日以内の外泊を承諾する、(ロ)宏一が約旨に違反したときは、別に、考慮するという趣旨を記載した書面を作成、交換し、しかして、両者は、約定にしたがい、同三九年一一月二五日、正式に、離婚届を提出し、また、上記離婚等訴訟事件ならびに同居、協力扶助審判事件の取下を、それぞれ、完了し、なお、それまでに、宏一から申立人に対する損害賠償金の支払も、滞りなく、おこなわれた。

(五)  ところで、宏一は、申立人と離婚した後、昌子、事件本人のほか、昌子とその先夫吉沢俊春とのあいだに昭和二八年二月二四日出生した長女A子、宏一と昌子とのあいだに同三七年九月二四日出生した忠夫を加え、五人で生活を共にしていて、同四〇年二月頃には、従前の京都市内から、肩書住所地に移転したのであつた。しかして、更に、その後、昭和四〇年四月一日、宏一は、忠夫を認知し、また、宏一と昌子は、正式に、結婚届を提出し、なお、そのうえ、宏一は、親権者である昌子を承諾者とするA子、昌子は親権者である宏一を承諾者とする事件本人と、それぞれ、養子縁組を取結ぶことにして、その届出をすませた。

(六)  一方、申立人は、宏一と離婚した後、京都府庁の薬務課に勤務して、自活のみちを切りひらいているのであるが、宏一が昌子と、正式に、再婚し、かつ、申立人に何の相談もなく、昌子と事件本人とのあいだに養子縁組が取結ばれたことを知り、納得できないとして、昭和四一年七月七日、宏一および昌子を相手どり、京都家庭裁判所に、家庭調整の調停申立(同庁昭和四一年(家イ)第八七一号事件)をし、両者から転居等を理由に移送の申立があつたりして、いつたん、これを取下げたのであつた。しかして、申立人は、更に、その後、昭和四一年九月三日、あらためて、両者を相手どつて、大阪家庭裁判所に、親権者変更の調停申立(同庁昭和四一年(家イ)第二二六号事件)をしたのであつたが、同事件は同四二年八月中不成立となり、審判に移行(同庁昭和四二年(家)第五九〇八号事件)して手続が進められていたのであつた。しかるに、申立人は、昭和四三年一月二三日上記事件も取下げ、申立の趣旨等を、一層、明らかにしたうえ、同四三年一月三〇日、再び、両者を相手方として、本件審判の申立をしたものである。

(七)  かかる経過であるところ、宏一の主宰する家庭の実態については、宏一が昌子と再婚するまでに、極めて、錯雑した経緯があり、更に、生活を共にしている三子が、それぞれ、親を異にしているという複雑な事情があるにしても、現時点では、宏一の医師としての収入を基礎とする経済面においても、両者の協力を基礎とする精神面においても、安定したものがあつて、事件本人も、他の二子と差別的な待遇をうけることもなく、その生活に満足、定着していて、環境の変化を希望してはいないことが窺われ、なお、事件本人が小学校に通うようになつて後、申立人において、運動会の際、或は、学校からの帰途などに、突然、事件本人に面接することがあつたが、かかる場合には、事件本人は、必ず、精神的に動揺し、テスト等の成績にも、その影響があらわれるので、そこで、担任教師から申立人に、実母としての情は推察できるが、面接することは避けて欲しいと、強く、要望したことがあり、学校関係者は、引つづき現在まで、そのような意向を抱いていることが明らかであつて、しかして、これらの事柄からすると、宏一が、申立人の主張に対し、自分としては、当初はもとより、本人間の交換文書と題した書面に記載したような気持を持つていたのであるが、その後、昌子との再婚、事件本人の入学等境遇の変化があり、家庭も落着いてきたいま、事件本人が実母である申立人に面接などすることは、その精神状態を半端にしてしまう恐れがあるから、事件本人が満一五歳頃になり、物事を自力で判断できるようになるまで、我慢して貰いたいと反論しているのも、事件本人を中心としてみるかぎりは、俄かに、主観的・恣意的にすぎると断定しがたいものがある。

このように認めることができる。

三、(一) ところで、父母が結婚中の親権についての規定である、民法第八一八条第三項にいう婚姻中の父母とは、婚姻中の実父母、または、養父母だけを意味するものではなく、実親と養親が婚姻中である場合も含んでいるものであるからして、かかる状態にある夫婦の一方が、他の一方の、その親権に服している未成年の子を養子としたときは、その子に対する親権は、実親と養親が共同して行うことになると解されることが一般であり、したがつて、本件の場合、宏一と正式に結婚した昌子が、事件本人と養子縁組を取結んでいるからには、事件本人に対する親権は、現在では、両者が共同して行使するにいたつているわけである。しかして、このことに、更に、父母が結婚していない場合の親権についての規定である、民法第八一九条第六項にもとづいて、子の親族が、家庭裁判所に、親権者の変更を請求することができるためには、その請求の対象となる親権者の親権が、引つづき、単独で行使されていることを必要としているものであつて、例えば、親権者の再婚、新配偶者と未成年の子の養子縁組の取結び等の経緯により、未成年の子が実親と養親の共同親権に服しているような場合には、養父と実父、或は、養母と実母が、養父と婚姻関係にある実母、或は、養母と婚姻関係にある実父を、それぞれ、差しおいて、共同して親権を行使することになるという、奇妙、不自然な結果の招来を避ける意味合からしても、もはや、このような請求をすることはでき得ないと解されることもまた、一般であることを、併せて、推論すると、申立人の申立中、事件本人の親権者の変更を求める部分は、昌子と事件本人の養子縁組が存続しているかぎりにおいては、宏一が申立人に対し、当初の約定にもとづき、事実上、どのような責任を感じているか、どうかは別として、法律上の観点からすれば、理由がないことに帰すると考えられるところであるし、なお、上記認定の事実からする、宏一の主宰する家庭における、宏一、昌子とその共同親権に服している事件本人のあいだの人間関係からすれば、事件本人の監護者を、特に、申立人と定め、事件本人を申立人に引渡す必要はないと判断するのが相当と考えられるところである。

(二) (い) 次に、離婚の結果、これにともない、親権者、監護者でなくなつた配偶者が、未成年の子に対し、いわゆる面接交渉権を有しているか、どうかということについては、現行法上、格別に、明記されるところがないので、一つの問題とされているわけであるけれども、かかる立場の配偶者としても、実親であるからには、本来的に、そのような権利を有しているものであり、ただ、未成年の子の福祉の観点からして、その行使が、全面的、或は、一部的に、制約される場合が生じ得ると解されるところである。

(ろ) しかして、いま、これを本件の場合につきみてみると、事件本人は、先に述べたような経過でもつて、宏一と昌子の共同親権に服していて、申立人としては、法律上、親権者の変更を請求することができないという特別な状態にあると考えられるのであり、しかして、このことに、更に、上記認定の事実からする、事件本人が、実父である宏一と養母である昌子のもとにおける、その生活に満足、定着していて、環境の変化を希望してはいないこと、事件本人が小学校に通うようになつて後、申立人に面接したことがあつたのであるが、このような場合には、事件本人は、必ず、精神的に動揺し、好ましくない影響があらわれるので、学校関係者としても、申立人との面接に、明白に、否定的態度を示しているものであることなどを、併せて、推論すると、実母である申立人が有している面接交渉権も、現在の段階においては、未成年の子である事件本人の福祉の観点から、全面的に、その行使が制約されるべきであると判断するのも、やむを得ないと考えられるところである。

(は) 以上のしだいであるが、なお、最後に、附言すると、当初において、宏一とのあいだに、先に述べた内容の本人間の交換文書と題する書面を作成、交換している申立人としては、事件本人との面接などが実現しないことにより、宏一に対する不信感をいだき、或は、いわゆる既成的事実がつみ重ねられていくことに対する焦慮感をおぼえることを禁ずることはでき得ないのではなかろうかとも、推察されるのであるが、繰返し述べてきたとおり、事件本人が、宏一と昌子の共同親権に服するにいたり、これが継続中であるという特別の状態にあることを、充分、認識し、自己の諸感情を抑え、蔭ながら、事件本人の成長を見守り、自重して、事件本人が、物事を自力で判断できる日の到来を待つよう、切に希望するものである。

四、よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 中島誠二)

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